星野氏 
 これまで会報やブログでお知らせしたとおり、第
23回全国大会の記念講演では星野智幸氏をお招きする予定です。今回、私たちは星野氏の著作や掲載された新聞/雑誌などを読み込み、星野氏とはどのような方なのか、著作や雑誌に書かれている思考と魅力をもっと知りたいと思い、インタビューを行いました。

最初の一言目。それは「ずっと文学が好きだった」。

Q:小説家を志したきっかけについて教えてください。

 ずっと文学が好きだったんですが、社会的なことにも関心があったので、そちらに適性があるか知りたかったので、最初は新聞社に勤めました。2年後ぐらいに文学に対する心残りから、文学を仕事にしないまま一生を終えたら後悔するだろうなと思ったんですね。それで、文学関係を仕事にしてみようと思って会社を辞めたのです。ただ、文学を仕事にするといっても、研究職とか翻訳業とか色々な可能性があるわけですが、最初は何をするかは決めないで、メキシコで文学を学ぶことから始めました。やがて、一番自分の好きな小説を書くという形で参加しないと文学自体がなくなってしまうのではないか、滅びてしまうんではないかと感じたんですね。それで、自分に才能があるとかないとかは考えないで小説を書くという形で文学に参加してみようと。

会社を辞めてすぐにメキシコに行った星野氏。
純文学の中でも「ラテンアメリカ」に可能性を感じた。

Q:ラテンアメリカの魅力とは?

ラテンアメリカは日本の文化とはすごく正反対、全く逆の文化だなと感じたんですね。空気を読まないだけではなく、人に迷惑をかけることを全然気にしない。それから自分の感情とか気持ちに素直に何かをしたいと思ったら我慢しない。日本人はすごく我慢強い人が多いんですけど、星野氏2ラテンアメリカの人は和を乱さないように我慢するとか人の顔色を窺ったりとかがない。逆に素直だからこそすぐに衝突して時には暴力あったりするんですけれども。日本の中で息苦しさを感じていた僕としては、ラテンの自分の気持ちや感性を大事にする文化というのはすごく風通しが良かったですよ。

大事にしていることは「世の中の空気に流されない」。

Q:小説を書く際に心掛けていることは?

 いま一番大事にしていることの一つは、世の中の空気に流されない、ということですね。世の中の読者がこういうものを求めているから、と思って何となく引き寄せられて書いてしまうとか、逆にそういうものに過剰に反発しすぎて自分の書きたいものから離れていくことがないように、世の中の空気とか流れみたいなものに距離を置くようにしながら、書いていますね。距離を置くというのは、現実から目を背けることではなくて、書いているときにできるだけ自分にバイアスがかからないような場所に身を置くことです。ラテンアメリカの文化に触れたことと、空気と距離を置くというのは、関係あると思います。バイアスの中には編集者の期待や思惑などもあったりしますが、きちんと耳を傾けつつ、自分を見失わない形でそれを聞き入れるという試行錯誤は、デビューから10年ぐらい続きましたね。

Q:星野氏の考える「文学」とは?

文学というのは人の意識から言語として出てこない部分を書くものだと思っています。文学を読むという行為は、普段、意識の上に上っていることを「分かる、分かる」と納得するというのとは違うんですよね。何だかよく分からないけれども読んだときにどこか感じるところや共感するところがあるとか、あるいは逆にすごく気持ち悪く感じるのに無視できないだとか、胸騒ぎみたいなものを掻き立てられるとか、そういうのが小説の言語、文学の言語。表面的な因果関係や現象をただ言葉にしたものではないのです。

小説とは人間の本質を探る途方もない作業。

Q:無意識の部分から引っ張り出して言語にする秘訣とは。 

 星野氏3難しい質問ですね。小説を書くときに一番大切でなおかつ大変なのはそこなんですよね。まずは、自分の中の無意識の部分にできるだけ潜り込むというか、そこを知ろうとする。自分が嫌で見ないようにしている部分にあえて入っていくことは、非常に苦しい作業です。例えば、自分の無意識に何か差別的な感情が入っていないかどうか。もちろん、全部は自分では分からないんですけれども、友人とか知人とかの事例を見ながら、「ああ、自分も同じように見下した感じ方をする時あるな」とか、「その差別語、気づかずに使ってるな」などと検証するというような作業を自分に対して行う。それから今度は、自分ではない他人について、その行為や価値観がどんな無意識から作られているのか、分析する。日頃、人を観察したり話を聞いて考えたりするわけですね。だから、自分は性格が歪んでいるんじゃないかと時々思いますけれども、それは小説には必要なことなのです。

難聴になって自らのアイデンティティを作り変えていく。

Q:著作「未来の記憶は蘭のなかで作られる」に収載されている「耳のメガネ」について。難聴になったときの心境について教えてください。

 左耳の聞こえがおかしくなった時は、ちょうど歌手の浜崎あゆみさんの突発性難聴が報道されていた時だったので、すぐに「自分のも同じかも」と思ったんですよね。最初のうちは、治らないのかもという不安と、治ってくれという祈るような思いで、ひたすら頭の中がいっぱいだったんですよね。1ヵ月ぐらいの治療の間に経過を見ながら、ああ、どうやら治らなさそうだ、という事実に直面していくわけです。治らないのであれば難聴である自分を受け入れるしかないと、頭では思うんですけれども、精神的にはどんどん沈んでしまうわけですね。端的に、喪失することの恐怖に打ちのめされてしまう。自分はもう、何かを失った、普通じゃない人間なんだと思うと、その自分に絶望する。そうじゃなくて、かつての「健全」な自分を恋しく思いそこに戻りたがるのではなくて、今の自分を肯定しようとする気持ちとの葛藤が続くわけです。現状の自分というのが100%の自分だとアイデンティティを作り変えていくのに、なん年もかかりましたし、今だってまだその過程にいます。
私の方がみなさんの失聴の話も聞きたいぐらいです(笑)。

補聴器は「耳のメガネ」と考えよう。

Q:どういうきっかけで補聴器を?

 両耳で聞けば、静かな場所なら普通に聞こえるので、自分では軽度の難聴なんだろうと思っていたんです。左耳だけだし、完全な失聴ではないし、低音は大丈夫で高音の方が聞こえないっていう難聴なんです。なので、当時は補聴器をつけることは全然考えていませんでした。けれど、飲み会や電車や交通の多い屋外などで人としゃべることになると、途端に分からなくなる。聞こえているのに分からない。でも聞こえないと言い出せず、何度も聞き直すのもはばかられるので、聞こえているふりをして相槌を打つんですね。そんなことを繰り返しているとだんだん抑うつ状態に陥って、人に会うのが怖くなる。自分は軽度だから気にするほどのことじゃない、気持ちを強く持て、と思えば思うほど外に出られなくなる。そんなときに、たまたまメガネ屋で「耳のメガネ」という言葉を見て、「これだ!」と。補聴器を付けるってそんな大ごとではなく、目が悪ければメガネをかけるようにハードルが高い話じゃないなと。そんなふうに思ったら急に身近な存在になって試してみようと。ただ、価格が高い。例えば、僕は小説を書くから椅子に座っている時間が一番長いわけです。そのためにはいい椅子を買う。やっぱり、人生で一番長くつきあう物には、お金をかけてもいいんじゃないかと。椅子にお金をかけるのと同じように補聴器にもお金をかけようと決断しました。

 この後も難聴をポジティブに捉える考えや興味のある大会の分科会、特別企画のライオンキングに対する考え、挑戦していること、難聴の力士などの話題が続き…あっという間の1時間。

Q最後に大会参加者への一言を。

今年2月に初めて難聴者の実行委員にお会いして話をしたときに、皆さんと一緒にいることに、僕は自分の居場所を感じたんですね。あとで自分は難聴について自分が思っていたよりも孤独感をずっと感じてきたんだなと気づきました。だから、委員の方々とのお話にすごく解放される気持ちがあったのです。この大会に出るのは自分の居場所に参加させてもらうようなものだと感じています。経験が浅いので、お話しするというよりもむしろ、皆さんから色々教えて頂いたり、お話を聞きたい立場でもあるので、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

【プロフィール】

小説家。1965年、アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。

最新刊は『呪文』。他に、過去の著作を集めた自選作品集『星野智幸コレクション』全4巻など。また、エッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』に収録の「耳のメガネ」には、自らの片耳難聴や補聴器を初めて装用したときの経験が綴られている。

【インタビュー後記】

インタビューはいかがでしたか?私たちは今回のインタビューから星野氏の温厚な人柄を強く感じ、小説家としての深い思考の一端が垣間見える時間でした。記念講演のテーマは「言葉が持つ力」。ぜひ会場まで直接足を運んでいただき、貴重な時間を共有できるのを楽しみにしています。

※本インタビューの内容は全て無断転載禁止です